蚊が持っている仕掛けを最初にすべてばらしてしまうと以下の通りです。蚊は、人間を見つけるのに三種ものセンサーを持ち、さらに血管の位置を探る超音波センサーと血液成分を検出する化学センサーを用意しています。その上、ヒスタミンを注入して吸った血が固まらない手当てまでしています。これだけの装置を人間が作ろうとすれば、巨大な装置になることだけは確かです。蚊は、というより虫は化学の天才ではないでしょうか。
1.蚊は人の血を吸って生きているか
今年も盆休みがやってきました。蝶の撮影に小学生になった孫達が「ぼく達も連れてって」といってついてくるようになりました。中池見湿原の「人と自然のふれあいの里」を見せてやろうと、南側の「ふれあいの里」の入り口から、「木漏れ日の道」を登ってみました。
途中、ぶんぶんうなる蚊の大群に襲われ短パンをはいた孫達は逃げ回っていました。かなり刺されたようです。丁度、ジャノメチョウやヒカゲチョウが一番多い頃でした。メダカの池、敦賀の農家、ウェットランド・ミュージアム、炭焼き窯などを一通り見終わった後、今度は東側の中池見口からトラスト小屋へ行ってみました。ここは比較的蚊が少ないところで孫達も安心していました。
そこで彼らから質問が出始めました。
@「どうして蚊は僕のいるところが分かるの」
A「なぜ向こうは蚊が多かったのに、こっちは少ないの」
B「人がまわりにいない時は、蚊はどうやって血を探すの」
という質問です。
この質問は大人からもよく聞かれます。一つずつ答えていきましょう。
まず最初の質問@です。「蚊の触角にある感覚器は、人間の出す油や汗、呼吸する時に出る二酸化炭素など様々な匂いや体温を感じて飛んでくるんだ。そして、止まって血管のあるところを口の先で探り、血管を探し当てると、血が固まらないようにする液を唾液腺から入れ、それから血を吸うんだ。」「ふーん。」「刺されて痒くなるのは、血が固まらないようにする液のせいなんだ」「ふーん。」
これについては少し補足しておきましょう。蚊はそのパイプ状の上顎を人間の皮膚に突き刺し血液を吸い上げるわけですが、この時に血液が凝固すると血液を吸い上げることができません。そこで蚊はまず、最初に唾液を人間の皮下に注入します。その唾液が問題で、唾液に含まれるたんぱく質などがアレルギー反応を起こす物質となるわけです。
このため、蚊に刺された後はアレルギー性の炎症を起こし、強い「痒み」を感じるわけです。「痒み」というのは、「痛み」と同一の感覚器官で感じとります。つまり、「痛み」の軽いのが「痒み」というわけです。
蚊に刺された部分を掻くとある程度「痒み」が治まるのは、同じ感覚器官に対して「痒み」よりもより強い刺激を送って、「痒み」を覆い隠してしまい、神経に送る「痒み」の一定の信号パターンをかく乱するからです。
さらに、血液が凝固しない工夫をしているものにヒルがいます。ヒルはヒルジンという物質を出して、血液凝固を抑え、悠々と人の血を吸うそうですよ。
少年時代に一度ヒルに吸いつかれ、びっくりしたことがありますが、そのときは、友人が「砂、砂!」と言うので、砂を吸い口にかぶせて、砂で擦り取ったことを覚えています。以来、ヒルは苦手で、ヤマヒルの多い鈴鹿山系は何時も素通りで、ここの人気の山にも登ったことがありません。
質問のAは、「さっき登った丘には蚊を捕食するトンボなどはほとんどいなかっただろう。ところが、こっちは藪などもあって木陰も多いから蚊が沢山いそうだけど、道が開けていて、ほぼ直線コースだろう。だから、ここはオニヤンマなどの大型のトンボ類が沢山行き来しているんだ。ほら、向こうからオニヤンマがやってきただろう。だから、こんなところでブンブンうなっていたら、あっという間にトンボに食べられてしまうからなんだよ。」「へー。」
さて、三番目の質問に答えなければなりません。孫達は血は蚊の主食だと思っているようです。「実は、蚊は血を吸って生きているのではないんだよ。花の蜜や植物の汁を吸って生きているんだ。だからこんな藪の中でも人の血を吸うことに失敗しても、生きていけるんだ。雄の蚊は吸血なんかしないよ。血を吸うのは雌だけなんだ。じゃあ何のために血を吸うかって。蚊の吸った血はお腹の中の卵を成熟させるためだけに使われるんだ。つまり、卵が育つ時に、たんぱく質として動物の血が必要なんだ。
こんな湿地帯でも、人間のほかにも血を吸うことができる鳥や獣が沢山いるんだ。湿地の中には鳥は多いし、山から下りてきたイノシシだって沢山いるよ。」というと少し納得したようです。
「トンボって蚊を食べるのか」とか「人間の血は食べ物ではないのか。へー。」。彼らは少しずつ賢くなっているのでしょうか。
鳥の様子やイノシシの暴れた跡など、少し中池見湿原の自然を見せたやろうと湿地の周回道を歩いてみることにしました。この時期(春から秋にかけて)は夜間にイノシシが出没し、湿地や畑を荒らした後が随所に見られます。冬の雪が多い日などは、沢山の足跡を残しています。「イノシシなんかも、蚊に刺されるんだ」といってるうちに、イノシシにひどく荒らされている場所が目の前に現れました。イノシシに荒らされた場所というのは、ブルドーザーか何かに掘り起こされたといった感じで、思わず「わー」と叫んでしまうくらいです。この日はヘビも多かったせいか、さすがに孫達も不安になったらしく「もう帰ろうよ」と弱音を吐いています。
「彼らも、自然の底知れぬ奥深さが持つ不気味さを今日は少しは分かったかな」と引き返すことにしました。
2.蚊の羽音周波数
皆さんは学校で理科や物理の時間に音叉を見たことがあると思います。音叉は音楽の演奏で、基準周波数を発生させる道具として長く使われてきました。
音叉を最初に作ったのは英国宮廷の音楽隊でトランペットを吹いていたジョン・シェアで、彼が自分のリュートを調律するために、1771年に発明したと言われています。
以後、音叉は便利なため、次第に各国に普及していきました。昔の音叉を調べると、その時代の音楽演奏に採られた基準のピッチが分かります。モーツァルトが愛用していたピアノの中から音叉が発見されて、その周波数から当時の基準ピッチが推定されたりしています。1939年には440HzがThe
New Philharmonic Pitch として、国際基準に認められ、今日に至っています。
![]() |
ここで、音叉の話がしたいわけではありません。また、蚊の話を続けましょう。
左の写真を見てください。ピーター・ファーブの「昆虫」から写真を拝借しましたが、ファーブは蚊の雄は雌を目で見つけるわけではなく、雌の羽音を聴いて雌の居場所を知るというのです。雌の翅から発せられる音波が雄の触覚にひびき、触覚内の感覚細胞を振動させて、脳にその刺激を送り、それにすぐ反応して、雌を捕まえ交尾するそうです。
ファーブは雌の蚊の代わりに音叉を使った実験でそれを証明しています。左の二枚の写真は音叉を使っての実験結果です。左は、音叉を静置しているだけで、この場合は蚊は何も反応しません。右は、音叉を振動させた場合で、蚊が音叉に引き寄せられていることが分かります。
前に、蚊の羽音周波数は440Hzの近辺にあると述べましたが、蚊で人の血を吸うのは雌ですね。つまり、我々の周りで「ワァ-ン・ワァ-ン」と鳴いている蚊は、雌の蚊で、440Hzの羽音振動数で鳴いているわけです。
音叉は基本振動数が440Hzですから、蚊の雄は音叉の音を蚊の雌の羽音と聞き間違えて、寄ってきたというわけです。面白いですね。
3.蚊のセンサー
蚊は長さ1cmにもならない体ですが、実に巧妙な機能を持っています。すなわち、獲物を探すためにまず3種のセンサーを持っています。
@人の呼吸を知るための二酸化炭素用センサー
A人の体温を知るための赤外線用センサー
B人の汗を嗅ぎわけるための乳酸用センサー
等です。次に、獲物を見つけた後に使用するセンサーがまた3種類あります。
@毛細血管の位置を探る超音波センサー
A皮膚に穴を開けるのこぎり状のパイプと鋭い針の二重構造からなる口吻
B針の先端部が血管で止まるように血漿を探知するサンサー
も持っています。
もしこれを人間が作るとすればどのくらいの大きさになるのでしょうか。またエネルギーをどのくらい食うのでしょうか。考えるだけでも面白いですね。
人間が開発した技術は、蚊やハエや蝶などの虫が持っている、微細で洗練された超能力にはとても及びもつきません。勿論、それらは何億年もかけた進化の所産ですが、彼らの小さな体に秘められている、捕食、生殖、子孫保持のための様々な機能は、今やっと人間がマイクロマシンとして昆虫から学び取ろうとしています。
4.蚊柱
家の軒先や川沿いの道を歩いていると、沢山の蚊に出くわすことがあります。いわゆる、蚊柱です。この蚊柱を作るのは雄の蚊達で、その羽音を聴いて雌の蚊がやってくるわけです。
雌の蚊が雄の群れ(蚊柱)に飛び込んでくると、数匹の雄の蚊が雌に寄って行き、もつれながら蚊柱を離れていきます。やがて雌は、その中の一匹の雄とカップルになり、交尾します。その時、雌に振られてしまった雄たちは、再び蚊柱に戻って次のチャンスを待つという仕組みです。つまり、蚊柱はお嫁さん探しの青年団というわけです。
もうお分かりのように、蚊柱に出くわしても、「刺されては大変」と慌てることはありません。というのも、人を刺すのは雌の蚊だけだからです。しかも、交尾をした後の、お腹に卵がある間だけです。雄は、花の蜜や果物の汁を餌にしていますから人を刺すことはありません。
さて、この蚊柱は他の虫たちにとってはどう写るのでしょうか。トンボやコウモリにとっては格好のお弁当パックというわけですね。その他、メスのユスリカの中には、配偶者ならぬ餌を求めて、自分とは別種の雄の群れに飛び込んで来るものがいます。適当な雄を見つけると、二匹はひとかたまりになって地上に落ちます。そこでユスリカの雌は口先を雄の頭に突き刺し、ほとんどの体液を吸い取ってしまいます。恐ろしいですね。
5.蚊と恐竜
皆さん、ティラノサウルスが実際に目の前に現れたらどうしますか。映画「ジュラシック・パーク」を3歳の孫に見せた時の様子を今も懐かしく思い出します。レンタルビデオを借りてきて、見せたわけですが、恐竜映画ということで、始まる前からはしゃいでいました。ストーリーが進み、人がティラノサウルスに飲み込まれるシーンで、孫の様子ががらっと変わりました。体が凍りついたように動かなくなり、目は画面に釘付けです。よっぽど怖かったと見えて、その後は母親にしがみついたままでした。時々、孫にそのときの様子を話しますが、「あのときは本当に怖かった」と話しています。
そんな恐竜復活をテーマにした映画が「ジュラシック・パーク」でしたね。フィクションではありますが、恐竜をよみがえらせるシナリオは、最近のバイオテクノロジーに基づいたものでした。
![]() |
| 琥珀に閉じ込められたハエ ピーター・ファーブ「昆虫」より |
ストーリーは、恐竜の血液を吸った直後に琥珀に閉じ込められた蚊の胃袋から血液を取り出し、それを利用して恐竜を復元しようというのです。つまり、このDNAを、恐竜と同じ系統の鳥の卵の胚に移植し、これを孵化させようと試みます。アイディアがいいですね。
琥珀は、松の木などの植物が分泌した粘っこい樹脂が化石化したものです。たまたま蚊などの昆虫が樹液のねばねばに捕まり、そのまま閉じ込められたものです。密閉された状態ですから、その姿はほとんど変化することもないので、はるか昔の遺伝子が良好な状態で残されている可能性は十分あるわけです。
実際、1982年、琥珀の中に閉じ込められた約4000万年前の昆虫から、DNAの一部を取り出すことに成功した例もあるようです。さらに、1993年には、1億2千万年前の琥珀に閉じ込められたゾウムシからDNAの一部が抽出された例もあります。
「ジュラシック・パーク」では、琥珀はドミニカ産となっていましたが、実際にはドミニカ産の琥珀は古いものでも4千万年前のもので、恐竜が絶滅してから2千万年も後のものといわれています。それにしても、恐竜の復活の良し悪しは別に議論するとして、その復活も射程内という可能性に夢を託したいところですね。
6.蚊とHIV
エイズウィルス(HIV)が付着した針で注射すると、エイズウィルスに感染することがあります。人間が持っている「T細胞」という細胞がHIVにとって極めて特別な宿主で、ウィルスがT細胞と結合して複製を始めるからです。
ところで、蚊がHIVに感染している人の血を吸った場合、HIVは蚊の消化管に入りますが、蚊は人間の「T細胞」を持っていないので、宿主細胞がないために、ウィルスは自己複製が出来ず、蚊の消化機能の働きで分解されてしまいます。
これを、蚊が媒介するマラリアの場合と比べてみましょう。マラリアの原因となる単細胞の寄生虫は蚊の消化管の中で生き残って増殖し、感染力を持つまでに成長することが出来ます。その結果、成長した寄生虫は、蚊の唾液腺へと移動し、蚊が人を刺すときに唾液も注入しますので、その時に、寄生虫も人間へと受け渡され、増殖していきます。
つまり、マラリアの場合はある寄生虫が蚊の体内で生き残ることが出来て感染が可能ですが、HIVの場合は、蚊が人を刺す前にエイズウィルスが蚊の消化器官の中で弱ってしまうため、次に刺された人にはうつらないというわけです。
| 本サイトの関連記事 | 虫の声を聴く |