北上する蝶


 夏も終わりに近くなると、ウラナミシジミが、ここ敦賀市にもやってきます。ウラナミシジミの北上の様子をポンチ絵で示すと、図1.のようになります。
 ウラナミシジミは図1.の左端にあるように、房総半島南部、伊豆半島南部、紀伊半島の南部、四国南部、九州南部などで冬を越し、春になると図に示すように、日本列島を北上します。秋には、北海道に渡ることもありますが、冬になると前記の暖地(冬の図参照)以外の地では死んでしまい、翌年再びこの地から北上を開始します。つまり、下図の冬→春→夏→秋→冬→・・・・という悲劇を毎年繰り返しているわけです。それにしても、ウラナミシジミは、何故越冬できないのでしょうか。

ウラナミシジミの北上
図1. ウラナミシジミの北上(「庭・畑の昆虫」:中山周平を改変す)

 ところで、昆虫たちの北上が話題になっています。そこで、蝶の北上に関する新聞記事をいくつか取り上げて、ウラナミシジミのことを少し考えて見ましょう。

1. 読売新聞2002年11月30日の記事によると、棲息地の北上が続いている南方系の蝶、ナガサキアゲハの翅の模様が、北上とともに変化し、黒い部分が大きく濃くなっていることが、坂氏(京都大エネルギー科学研究科教授)の研究でわかったそうです。北上は地球温暖化の影響とみられており、坂氏は「地球温暖化は、生き物の棲息域だけでなく、形状にまで影響を与えている」と警告しています。
 ナガサキアゲハは東南アジア原産で、翅を広げると14cmにもなる日本最大級のアゲハ類です。坂氏が採集した蝶や各地の標本、資料などで研究したところによると、インドネシア産は、翅に白い斑紋が目立つのに、台湾、九州、本州と北へ向かうにつれ、白い部分が少なくなり、黒くなってくるそうです。同氏が、ギフチョウのサナギを5℃程度の冷蔵庫で飼育し、羽化させる実験をしたところ、やはり羽の黒化が見られたそうです。
 このため同氏は、蛹の時期に寒冷刺激を受けると、寒さに備えて日光を効率よく受けるため、黒くなると推測しています。ナガサキアゲハも温暖化で北上したものの、やはり冬場の寒冷刺激は避けられず、黒化したと見ています。
 生物の棲息域の北上は、温暖化など「環境の変化による外因説」が有力ですが、同氏は、「北上に伴う生体の適応」という内因も働いているとみており、「様々な生物の体や生態に、すでに温暖化の負担がかかり、体の変化が起きている。一刻も早く、温暖化対策を進めるべきだ」と述べています。

ナガサキアゲハの北上
(■ は分布が確認されている年代の気温、2点間の場合は平均値)

2. 山梨日日新聞の記事(右図参照)によれば、南方系の蝶の日本列島北上は地球温暖化が原因である。として、県環境科学研究所(入來正躬氏)の研究員らが、「関東地方でも最近確認されている亜熱帯の蝶、ナガサキアゲハの北上はこれまで「温暖化の影響」「温暖化の指標の一つ」などとされていましたが、科学的な根拠が希薄でした。
 北上の経過と各地の気温の相関関係を分析し、「温暖化が原因」とデータで証明した研究はこれが初めだそうです。
 山梨県内でも最近、ツマグロヒョウモンなど南方系の蝶が確認され、温暖化の影響が指摘されています。今回の研究は、地球温暖化現象がごく身近な場所の生態系にも変化を及ぼしていることを裏付けています。
 研究をまとめたのは、入來氏と同研究所・北原正彦氏、気象データを提供した民間会社「新日本気象海洋」の清水氏です。
 ナガサキアゲハは主に東南アジアなどの亜熱帯に棲息していますが、次第に棲息域を北へと拡大しています。日本各地の研究者が確認した分布の北上の記録が、1920年代から残っています。
 それによると

・1920年代までは四国南部、九州以南に分布。
・1945年までに高知県や愛媛県南部へと北上していた。
・1983年までに兵庫県や和歌山県、
・1997年には静岡県浜松市まで生息域が拡大、
・2000年までに神奈川県、埼玉県内でも目撃されるようになった。

 北原氏らは、この北限地の北上の経過と、年代ごとの北限地の年平均気温と最寒月の平均気温を中心とした気温データの推移を比較し、相関関係を分析しています。その結果、分布の北上の経過は、それぞれの北限地の気温上昇(温暖化)の経過と、合致していることを確認されたそうです。
 例えば、分布が確認されている45年当時の高知市と高知県室戸市の年平均気温は15.48度。その後、50年までに分布が確認された広島市と徳島市の同年の平均気温は15.28度で、45年と比べて0.95度上昇していた。60年までに確認された高松市と兵庫県洲本市も同年の年平均気温は15.68度で、45年からは1.45度も上昇していた。
 こうした結果からは、平均気温が15度程度に上昇すると、ナガサキアゲハの分布域が北上していく様子が確認できたとしています。
また、データ全体の分析では、

・北限地の年平均気温の平均値が15.46度、
・最寒月平均気温の平均値は4.51度である

ことがわかったそうです。

 一方、生物種の分布の拡大には前記したように、外部環境などの変化(外因)と、生物種自体の変化(内因)の二つがあり、ナガサキアゲハの場合、北上種と南方種に冬眠の仕方などで違いはなく、分布の北上には内因は関係していないことが、他の研究で分かっています。
 このため、同研究所の研究では「ナガサキアゲハ分布の北上に内因が関与した可能性は非常に低く、気候の温暖化が最も重要な要因である可能性が高い」と結論づけています。北原氏は「ナガサキアゲハ北上の要因として温暖化の可能性が指摘されてきたが、それを初めて立証できた。温暖化によって身近な生態系が変化していることを示す例として、今後も動向を注視したい」と話しています。

 その他、横浜市南部から鎌倉、藤沢市にかけて、アカボシゴマダラという蝶が出没しているという報告があります。この蝶は、本来は亜熱帯の蝶で、日本では奄美大島だけにしか棲息していないはずです。神奈川県で発生しているものは、翅の模様などから、中国南部産であるらしく、誰かが日本に持ち込み、それが逃げ出したのでしょうか。ホソオチョウの例を思い出しますね。
 神奈川県内では、定着している蝶が、ナガサキアゲハ、クロコノマチョウ、ツマグロヒョウモン、ムラサキツバメ、アカボシゴマダラの5種も増えたそうです。

 蝶ほど早足ではありませんが、クマゼミも北上を始めています。神奈川県では長い間、湯河原など箱根山麓と三浦半島の城ヶ島に止まっていたようですが、湘南でも発生が記録され、横浜市や東京都内でも鳴き声を聞くことが珍しくなくなったといいます。クマゼミも、近畿から東海、関東へと北上を続けているようです。
 私が敦賀市に移り住んで、16年が経ちましたが、2003年8月に、我が家の庭で初めてクマゼミが鳴くのを聞きました。一匹だけでしたが、確かにクマゼミでした。少年時代の蝉取りはクマゼミが主体でしたから、懐かしく、その姿を求めて、庭に出たくらいです。

 それにしても、蝶の北上を可能にしている要因は何でしょうか。大阪府立大学の石井実氏らは、約10年前から各地のナガサキアゲハを採取して、越冬する蛹の休眠性や耐寒性を調べています。たとえば、奄美大島の名瀬市、鹿児島市、和歌山市、箕面市(大阪府)、などの蛹を集めて実験し、「北のものほど越冬能力を高めているのではないか」と予想したそうですが、結果に余り差がなかったそうです。
 石井氏は、ナガサキアゲハが生理的な変化を伴わずに分布を広げていると説明しています。つまり、「蝶が寒さへの抵抗力をつけた」とする内因説を否定しています。
 上記の他にも、1970年代までは宮崎や鹿児島にしか棲息していなかったタテハモドキが、2000年秋には、福岡市でも、初めて繁殖が確認されたそうです。この蝶は、年平均気温が今より1度上がれば、棲息可能な地域は近畿南部から東海、関東にまで広がるのではないかといわれています。そうだとすると、これらの蝶の北上は、環境の変化、すなわち、地球温暖化が関与しているのでしょうか。

 これらの記事を読んでいくと、「蝶の北上」はすべてが「温暖化犯人説」に傾いているようですね。いくつかの疑問点があります。これを挙げておきましょう。

ウラナミシジミ
ウラナミシジミ

1.地球温暖化が棲息環境を北に広げたとすれば、ウラナミシジミの場合は、どう考えたらいいのでしょうか。どんどん北上して、北海道まで渡ることが確認されていますし、マメ科の植物など、どこでもありますから、食草の問題ではありません。
 そうすると、越冬できない理由は気温のせいということになります。石井氏がいうように、ナガサキアゲハでは「特別な越冬手段」を持っていないにもかかわらず、北上し、しかもその地で定着が可能なのは、地球温暖化の影響であろうと言っていますが、ウラナミシジミにとっても条件は同じはずです。なぜ、ウラナミシジミだけは北上しているにも関わらず、北上中の棲息地で越冬することが出来ないのでしょうか。彼らの北上と、地球温暖化の関係はどうなっているのでしょうか。

2.また、このような南方系の蝶が北上し、それが地球温暖化の影響であるとするならば、寒冷な環境に住む高山蝶たちが絶滅する心配はないのでしょうか。これらが、極端に減少しているという話はあまり聞きませんが、その影響がじわじわと出ているのは高山蝶でも同じではないでしょうか。

3.昆虫は移動が可能ですが、植物は生息範囲を広げるにしても、昆虫のように早足ではありません。高山植物の絶滅は考えられないのでしょうか。それらに対する地球温暖化による影響調査は、もう始まっているのでしょうか。
4.花の開花日や植物の異常な分布拡大はないのでしょうか。また、他の昆虫たちの北上の実態などは、断片的に報道されていますが、その他、分布の南限での絶滅など考えられないのでしょうか。鳥たちはどうでしょうか。魚たちも心配です。

5.かって、1960年代後半から1980年代初頭にかけて、マスコミや学者たちが、しばらくすると大氷河期がやってきて、大変なことになると騒いでいたのを覚えていますか。この時期、地球寒冷化論がはやっていましたが、暑くなった途端に、あっという間に地球温暖化論が主流になってしまいました。
 蝶の北上は、これ以前から始まっていますから、少なくともこの時期の北上は、地球温暖化のせいではないように思うのですがどうでしょうか。
 あれから、30〜40年しか経っていないのに、寒くなれば寒冷化論、暑くなれば温暖化論と科学の理論というには貞操観念(現在は死語になっています)がなさ過ぎるように思いませんか。近視眼的に気象を見るのではなく、ビョルン・ロンボルグのような視点が欠かせないように思います。
 日本のメディアは暗いニュースが好きなようで、何かがあると、すぐ地球温暖化に逃げ込んでしまうようですね。

6.最後にもう一つ付記しておきたいことがあります。それは、データの取り扱い方です。
 前記の山梨日日新聞等の記事では、「過去の温度変化を調べることにより、蝶の北上は温暖化の影響であるということが証明された」とありますが、データを駆使して論陣を張る場合は、その取り扱いに十分注意することが必要です。 というのも、「北上が地球温暖化の影響だけなのかどうか」の検証がなされてないまま結論を出しているからです。
 ウラナミシジミの北上の問題などは、地球温暖化では説明しきれないところがあります。「ウラナミシジミの例はまた別の理由によるもので、これはまたの機会に」ということになると、今度は、ナガサキアゲハの北上の理由が、地球温暖化というのも怪しくなってきます。
 私は、ここで前記の新聞記事に載った一連の研究が間違っているといっているのではありません。本当にそうなのか、ウラナミシジミの例をとってみても、複数の複合的な内的あるいは外的要因が考えられないだろうかということを心配しているのです。
 科学の基点は「仮説」にあります。自然の現象を前に「何故」と問われたときに、「これを原因とすれば説明できる」として置く「仮説」です。その予測を観察や実験あるいは同時進行している気候などによって確かめることにあるわけですから、この場合、「蝶の北上は地球温暖化による」という仮説から、だから蝶たちは北上するという予測を引き出しています(演繹)から、手法としては間違っていませんが、「この説明は正しい」ということをいうためには、このような予測をいくつかしてみて、その予測が全部当たっていなければなりません。すなわち、仮説に一つでも例外があれば、その仮説は成り立たないのではないかということです。仮説の提案は、最も人間的な部分であるだけに、この問題に関しては、もっと多くの仮説が提案されて、議論されてもいいように思います。
 私は、今、敦賀市の過去40年間の気象を詳細に調べているところですが、長いスパンで気象変化を見た場合と、短いスパンで気象を見た場合では、その結果の解釈に大きな隔たりがある場合があります。よくある研究のように、「地球温暖化の場合のように、結論が先にあると思っている研究者には、都合の良いようにデータを使用できるなあ」と誘惑に駆られそうですが、牽強付会に陥らないように、自分を戒めています。

 さて、以上のように論文や新聞等に記載されたものを見ると、日本全国でかなり多くの事例が報告されつつあり、これらをまとめると何か面白いものが出来るかも知れません。現在のところ、これらの情報は、まとめられて統一された見解にはなっておらず、断片的な知識に止まっています。また、新聞等による事例の中にも、人為的なものも含まれると考えられるために、地球温暖化が直接影響しているかどうかの判定はなかなか難しいところがあります。
 地球温暖化の事実は否定できないとしても、その影響をもっと詳しく見るためには、気温など気象変数を観測するだけではそれらの影響は予想できませんから、動植物への影響などの総合的なモニタリング(監視)なが不可欠のように思われます。

 判らないことだらけですが、若い諸君は、ぜひ、ビョルン・ロンボルグの書を読んでみてください。ものの見方、考え方のお手本のようなことが書かれています。
 日本にいると、政治の世界でも、学問の世界でも「白か黒か」という意見よりも、白なら白、黒なら黒と、偏向が目立ちます。「絶対にこうすべきである」と決めてしまうところがあり、これは問題が起きても、その都度考えなくて済むので、そのほうが都合がいいのでしょう。
 その点、欧米の言論界や学会は賛否両論があり、侃々諤々の議論もあって、比較的公平ですが、欧米の場合には原理主義者も多く、彼らの言説には気をつけた方がいいでしょう。
 まだまだ、若い諸君達にはやらなければならないことが沢山ありますよ。

2003.12.14

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